とまちゃんのブログを見て僕なりにちょっと考えてみました。かなり独断と偏見ですが、一つの答えに収まる類の話でもないと思うのでどうかひとつご勘弁を。
(※つらつら書いてたら長くなった。前からこういう話題書きたかったんだなあ俺とか書いた後で思った。最近ESでもこういう現象があるのです。)
で、僕は「不安」と「壁」と「山」を明確に区分します。
1.「不安」はコメント欄nickname①の処方箋が僕には一番効きます。

「不-安定」とか「不-安心」とかとにかく心の状態が安らかではない、感情の起伏が激しい(コントロールできない)状態が不安なので、徹底的にその構造や由来を自覚すること。それだけで問題は解決されないけど不安は解消します。
2.「壁」はその次の段階。

ただ、壁を見て恐怖するようではまだ前の「不安」段階。お化けと一緒。見えないから怖い。要自覚。
「壁」段階は、解決すべき問題がまるっきりわかってるが、解決法がわからない状態。要は「壁」という言葉には頂上という概念がないので厳密に言うと”越えられない”。「越えられる壁」は衝立とか塀で、僕にとって壁ではありません。
なので壁段階でできることは、
A.破る
B.「山」段階に進む。
A.はnickname②の解決法。とまちゃん自身(意識的かどーかわかりませんが)「打開」という言葉を使ってるのでこの解決法を想定してるのかも。
B.は後述。
Aを選ぶのは好みの問題と、打たれ強さの問題だと思います。体育会系の人は結構Aで何とかなることもありそうです。ただかなりムチャですが。だって壁を破るんですよ?大家さんとかに怒られるじゃん。
あとここでは「立ち向かう」前提でハナシをするので「C.逃げる(or見切りをつける)」っていうオプションは考えません。必ずしもこれが悪いという意味ではないので念のため。
真面目(問題に真正面から向き合う)で臆病(頂上のことを思考の外へ追い遣る)な人ならこの段階で悩みそうです。
3.「山」はその次の段階。

ハードルと言い換えてもいいと思います。壁とは違い、頂上という概念があります。
問題もわかる。解決法(越え方)もわかる。あとはやるだけっていう状態。
(越えられないではなく)越えない理由は自分でわかる。わからないならまだ「壁」段階。
よりライトな課題の優先順位を上げがちだと「山」段階で悩みそうです。
で、もうタネがバレてるかもしれませんが、実はこれ、自信の問題だと個人的に思っています。
「壁」とか「山」とか一般的な単語を使ってるのでわかりにくくなってますが、問題を意識(定義)するのは他人じゃないです。自分です。
ということは、傍目には同じはずのその問題を「壁」と表現するか、「山(ハードル)」と表現するかで自信のあるなしが浮き彫りになります。
つまり「越えられる(頂上を認識)」と感じた時(自信を獲得した時)、「壁」が「山(ハードル)」になるという構造です。
なので、「壁」の「越え方」はありません。越えられるのは「山(ハードル)」だけです。
「壁」の解決法考の論理的な帰結は「山」化すること
*1。言い換えると自信を持つこと。
すっげえベタな表現で恐縮ですが、そもそも今まで越えたことのある山に対しては普通悩まないので、どのみちその問題の山に関しては初登山(?)なわけです。
自信とは未経験の事柄に立ち向かう為のガソリンです。
例えば初対面の人に喋りかけられるかどーかって自信の問題でしょ?
で、ガソリン満タンでも「山」を未だ越えてないのは怠慢でしかないので、解決法は優先順位を上げるとか越えた先のことを想像するとか通り一遍のことです。何ら特別なことをしなければならないわけではないと思います。
じゃー自信の獲得の仕方は何か。(ガソリンスタンドはどこか)
僕は「失敗の経験」だと思いますが、これは人それぞれなんじゃないでしょうか。
*1:補足すると、前段「A.(「壁」を)破る」は「山」段階を気合でショートカットするってことです。
僕、空手やってたんですけど、突き(パンチ)、蹴りのインパクトの際、あるいは組み手とかの時に「エイ」と発声するのはこの「破る」という状態に似ています。足りない「自信」を「気合」で包んで一時的に大きくする知恵ですね。
空手というのは(人生の壁に比べたら)一瞬で雌雄が決するので、「壁(初見の相手)」を「山(コイツの力量は…)」に―とか悠長なことは言ってられない。だから「壁」の状態のまま「気合」で「破る」ことが要請されるんだと思います。というかこれ、他のスポーツでも大体一緒です。なので「体育会系の人は」と言いました。