Friday, September 29, 2006

[就活全般][雑記] ロジカルシンキングシンキング

 ロジカルシンキング。耳にタコの上にかさぶたが3層くらいに渡ってできるくらい耳タコなんですけれども多分先半年くらいは方方から我々タコを投げつけられること必至と思われます。そのタコじゃねえよタコがとか無粋なこと言わないこと。

 タイトルの件ですが就活期間中において頭の性能の良さ等々を十把一絡げにロジカルシンキングに還元しようとすることをロジカルシンキングシンキングと呼びます―もとい呼ぶことにします。元ネタはこのへん

 特にコンサル志望の方はこういうロジカルシンキング的な思考でもってグループディスカッションなりでイニシャチブを獲得していくとかいかないとか。スクエアフレームの奥で切れ長の目が煌いたかと思えばいつの間にかロジックツリーがミッシーでゼロベースな図が定規分度器コンパスを駆使したかのごとく整然と出来上がっており、鼻水が垂れたままの僕らをソリューションへと導くのです。―ってやばいそろそろ怒られそうだ。誰にかわからんが。これはコンプレックスからくるシャレです。シャレ。

 まあ冗談はこのへんにしてこれからマジメに冗談を言いますけれども、ロジカルなシンキングというのは基本的に誰でも普段からやっていて、というのもそもそも発言がロジカルでなければ意図が通じないわけで、その意味で有効なコミュニケーションはロジカルシンキングが大前提です*1

 いや勿論この問題系は一般的にカワイイとされているアイドルのことを敢えて可愛くないと主張するに等しいくだらないレトリックでしかないのはわかってて言ってますけど(その結び詞は「クラスにいたらカワイイ」)。

 つまり一定水準はきちんとみんなロジカルで、後は程度の問題とコンサル的なフレームワークに落とし込む方法論的なロジカルシンキング。このあたりを混同するとロジカルシンキングシンキングに陥るんじゃないかなーとだいぶ前に思ったのを突然思い出したので書いてみた。



*1:しかしながら世の中のコミュニケーションの大部分が実はイロジカルな気がしてなりません。「このろくでもないすばらしき世界」ってやつです。

Sunday, September 24, 2006

[雑記] セルフマネージメントとか

 更新間隔あいちゃったんですけど、書く事がねーとかそういうことでもなくてむしろブログなんてのは書く事がないくらいヒマな時に書くモチベーションが沸々と出てくるよーな気がするんですよね。っていう言い訳もあるよね。書こうと思ったら書けるんですよ?っていうニュアンスが大事。誰に言ってんだか。

 落語の「搗屋幸兵衛」*1って噺の中で「メシ食いながらあくびしようったってそうはいかねェ」っていう一節があるんですが、要はそういうことで、僕はいっぺんに色んなことできる程器用でもなければそうする気もあんましないです。ただ、気づいたら結構タスク抱えてたってのはままありますが。

 自分のことを完全にマネージメントできる人になれればそりゃー結構ですが、んな人ばっかだったらつまんないわけですよ。つまり待ち合わせに遅れるから喧嘩があり、仲直りがあるわけです。あるいは終電を逃すからタクシーがあり、痛い出費があり、節約生活があるわけですよ。ソ連の崩壊は国中のおっさんがウォッカ飲みすぎて物流がストップしたのが一因だったって話とか最高じゃないですか。

 それよか、時々刻々と突然降って沸いたよーに起こるイベントなり用事なりと、今抱えてるものとを順序だてて予定をリアルタイムで再構成できるような人のほうが魅力を感じるなあと思う、スケジュール帳を紛失した今日このごろなのでした。


*1:志ん生ver.

Monday, September 18, 2006

[雑記] GATE BBQ

>> more photos

今日のBBQの開催地・・・

ちょっとおかしかった・・・よ・・・??

かずみんの就勝日記::GATE☆BBQ大会

バーベキュー(英語:barbecue)は、薪、炭、ガス等の直火によって肉や野菜、魚貝類などを焼きながら食べる料理である。特に野外で行われるものを指す。またそういった調理と食事を楽しむ行事のこともバーベキューと呼ぶ。アメリカやカナダで「バーベキューに行く。」と言った場合は、野外でのバーベキュー行為以外に、炭火焼きした肉を出すレストランに行くことを指す場合もある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
>>『バーベキュー

とりあえず屋外っぽいとこで肉焼いとけばBBQらしいよ!

Saturday, September 16, 2006

[就活全般][就活tips] 仕事とキャリアに関する総合情報システム「キャリアマトリックス」

 なんか職業情報の決定版みたいなのが政府系のとこから出たらしいので書いておきます。(via GIGAZINE)


 ニートだのフリーターだのの問題を憂いてか、国の本気度がよくわかる気合の入った作りになってます。適職診断とかは民間でも似たようなのがいくつもありますが、国勢調査がベースになってたりしてデータのスケールが違います。
 よくあるあなたの適職はこれだ!みたいな押し付けがましさがないのでそういうのが好きな人はいいんじゃないでしょうか。淡々と調べる感じです。

 で、サイトの左のサイドバーをつらつら見てるんですが、すごいですね。窓口から調査からいたれりつくせり。もうほんと、お前ら頼むから仕事見つけてくれみたいな。なんかおばあちゃんから思いのほかたくさんお小遣いもらっちゃったようなバツの悪い気がするのは僕だけかもしれませんが、きっちり然るべき人(俺か)に使われることを願います。

>>キャリアマトリックス(労働政策研究・研修機構)

Friday, September 08, 2006

[雑記] かぼちゃとファミコンと革パンと。

 翌日死ぬほど後悔すると噂の自分語りですよー。酔っ払ってるうちに書きますよー。既に下のほうから腐敗臭がしてますけれどもー。


 さて、先日、歳を一つ重ねたわけですけれども、この夏から秋にかわる時期がたまらなく大好きなんですよね。ホントこの時に生まれて良かった。
 まあ元旦に生まれたって肉の日に生まれたって同じこと言いそうですけど。いいんです、そんなことは。

 理由ってーと難しいんですが、この時期に失恋した記憶もあってかなんていうかこう切なくっていいですよね。何か矛盾してますけど。寂しくて好き。なんか。

 後は時期的にリフレッシュ、というよりニュートラルって言葉のほうがしっくりくるんですが、このニュアンス、伝わるかな。こう、立ち位置の確認というか。やー一年前俺偏ってたなー、みたいな。一年後、やっぱ偏ってたなーって思うんだろーなー、とか。

 実際振り返ると赤面しちゃうくらい考え方が変わってるわけで、さらに一年後赤面しちゃうのが信じられないんですけど、多分赤面しちゃうんですよ。きっと。うわーって。何こいつーって。何で俺かぼちゃ嫌いやったんやろーって。

 今かぼちゃ嫌いで一年後かぼちゃ嫌いな自信があるのといっしょで、今考えてることで一年後ブレずに考えてるって自信があることはたくさんあるんですけど、変わってしまうわけです。何個かは。悔しいですけど。笑うがいいよ、未来の俺。


 僕ね、小さい頃ファミコン好きだったんですよ。ファミコンがある日本に生まれた自分はなんて幸せなんだ。お父さんお母さん。ファミコンの国に僕を生んでくれてありがとうって本気で思ってましたから。世界192ある国のうち、高橋名人と同じ国籍ですよ。奇跡じゃないですか。

 でも高校生になってパッタリやらなくなってホント今までなんであんなにファミっ子(死語)だったのか信じられなくてね。コペルニクス的転回とはこのことですよ。驚愕でした。
 
 んで今度はとにかくモテたいもんだから髪の毛いじったり服買ったりっていう。ね。それもやっぱり後々何であんな服着てたんやろーってなるわけですよ。革パンて!とか。しかも合皮て!とか。それの繰り返しなんですね。


 ただ、ちょっと前は変わるものが10のうち6とかでダイナミックだったんですけど、だんだん3とか1とか少なくなってきてるのはあります。これからもっと少なくなっていくでしょう。微調整に近くなってくる。それが歳を重ねるということなのかなあ、と、そんなことを考えた秋口でした。

Wednesday, September 06, 2006

[就活全般][雑記] 自己分析分析

 もうまんま、タイトルどおり、自己分析を分析するっていう誰もやってねーというか誰もやろうと思わんだろっていうそんだけの動機で勢い余って書き始めてみたんですけれども、さてこの向こう見ずに広げたふろしきをどう畳もうか。

 何か以前に書いたような気がしますが、こういうめんどくさいことを考えてみるのもこのブログの趣旨です。とか言いつつ普段は超めんどくさがりなんですけど。あー部屋の掃除しなきゃなー。


 さて、自己分析ですが、これっていつから言われ始めたのか、ちょっと単語がありふれすぎてて調べようがないんですが、中国は隋の時代に、現在の河南省に位置する穂毛穂毛県のある宗族内行事として成人の祝いの席で行われたのが起源とかそういうそれっぽい情報をお持ちの方は教えてください。おもしろかったら信じます。

 まあ、哲学や心理学界隈で自己分析っていうか、「私は何者であるか」みたいな命題はよく出てくるよーな気がしますんで古代ギリシャだかの人類の大先輩方から代々続く由緒正しき作業ですっていう強引なまとめもあながち外れてないと思い込むこともできそうです。

 あるいはそっからうまーく啓発色を抜いて就活の一環として昔の人材業界の人が再定義してみたってとこかなあと、答えのない理屈をこねるのもいいんじゃないでしょうか。


 ともかく、そもそも何でこういう作業が現在就活で要請されるのかって考えるとき、過去にさかのぼって、就職に臨むにあたって「自己分析」なるものがなかった(と思われる)戦前(あるいは戦後しばらく)においては、「企業とのマッチング」とか「将来のキャリア」などと考えるまでもなく鍛冶屋の子は鍛冶屋っていう、職業選択の幅が今と比べて極端に少なかったと。で、今は必ずしもそうじゃなく、選択に説得性を持たせる仕組みが必要になったから、くらいのことは言えそうです。

 じゃー昔の人は自分の就職(?)に鬱々としてたかっていうとそういうわけでもないような気がします。いや、ご先祖様に訊いてみないことにはわかんないですけど、ケータイを知らないのにケータイがない事を不便だと思うことはないのといっしょで、選択肢を自覚しないで選択肢のなさを嘆くことはできないので。
 で、僕らよりも遥かに若くしてメシを食う為に仕事しはじめるんですから自己分析とか悠長なこと言ってられないのはもちろんですが、仮に彼らにそういう「仕事=生業」ってとこから離陸して仕事について考える時期があったとするならばそのときに「自己分析」的な作業は発生してるはずです。


 要は何が言いたいかっつーと、自己分析って昔っからみんな大なり小なりやってきた社会の構成員になる為のイニシエーション(通過儀礼)を現代就活で再発見しただけなんじゃないかと、そう思うわけです。いや、だから無下にしていいって話では当然なく、むしろそういう当たり前っちゃ当たり前の個人史上の一つのイベントをラベリングして就活期間に設置した(みんなが同時に通過するよーにした)ってとこがいかにも日本的というか何というか。海外でもあるのかな?『self-analysis』とかいかにもありそうだけど。
 でも多分ここまでみんな一斉にやるのは日本だけなんじゃないかなあ。いや別に批判とか皮肉じゃないですよ。まあスタイルは決まってないので思い思いの自己分析があっていいんじゃないでしょうか。就活中だけしかやっちゃいけないっていうルールもないですし。


 と、こんなどーでもいいことを考えながら、戦国時代に元服を迎える、今で言ったら少年はもしかすると僕らなんかよりよっぽど綿密に自己分析してたのかもなぁと思いましたというお話でした。